左岸ルート   昭和55年11月19日

  左岸ルート

コースタイム    昭和55年11月9日 (快晴)
大沢出合い発6:20〜お中道8:20〜山頂着12:55〜お中道着15:20      〜大沢出合い着16:35
メンバー:小林久仁彦、佐野明美、遠藤倫万、工藤誠志

 十月に剣岳の早月尾根を一日で登下降し帰宅した。その時ひらめいたことに、標高2000メートルを登下降し帰宅することも、高度順応訓練になるのではないかと考えた。対象は、甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根、赤石岳、そして富士山。今回は、その富士山の左岸ルートでチャレンジすることにした。標高差2350メートル。樹林帯、ルンゼ、砂地、岩盤帯等変化に富み、しかも日本最高峰に直接到達するルートである。

 早朝、富士市を出発し、車で北山林道から大沢の出合いに着く。ここの標高は、1400メートル。いよいよ歩き始める。大沢の大滝手前右側に流れ来てる不動沢左の尾根が、左岸の登山道入り口である。かすかな踏み跡に従い左手に大沢の谷筋を見て、登って行く。やて、樹林帯の木々が密集し出す。踏み跡も判明しにくくなり出す。次に、樹木が大木の原生林帯になり出すと、樹林内も明るくなり出した。その頃、お中道のしっかりした踏み跡に出た。その道を登り、不動沢まで行く。不動沢に出る少し手前のお中道を、月の輪熊が走って行き立ち止ってこちらを振り向いた。ビックリしたが、ようやく山の中で、野生の熊を目撃したある種の優越感に満たされた。熊の存在を他の人に知らせる間もなく、その熊は、林の中に姿を消した。

 不動沢出合いからは、沢を登り出し、スラブ、ルンゼ状をつめてかつての雲切不動の位置まで登る。すると、森林限界を過ぎ、大沢の深い谷筋と測候所の白いドームが目に飛び込んで来る。ここからは、砂と岩盤の斜面になっている。歩き難い。登る内、大沢の奥壁がよく見え出す高さまで来ると、遠藤君と佐野さんが不調を訴え出す。昼食をとって様子をみたが、二人とも快調にはならない。どうやら高山病になったようだ。二人は、ここで待っているというので、ツエルトを出し、それを被って待っててもらうことにした。そこで、小林君と二人で登り始める。標高3000メートルを超えている高さである。溶岩が固まった岩盤の部分が増えてきた。やがて1〜2級の岩場的岩盤の連続となり、所々に、雪も積もっている。疲労感が出てきた。眼前に迫った測候所のドームに励まされ、上へ上へと足を動かす。

 12時55分、測候所左手から回り込み、富士山山頂を示す黒い御影石の前に立った。11月。さすがに風は冷たい。標高差2000メートル以上を登り、山頂に達した満足感もそこそこに、下山を開始する。道なき岩盤と砂の左岸ルートを下り、待っていてくれた二人と合流し、お中道へ戻る。さらに、枯草の尾根状を下り、大沢の出合いの堰堤に4時半に帰り着いた。