右岸ルート     昭和57年2月14日
 
  右岸ルート

コースタイム    昭和57年2月14日 (快晴)
大沢休泊所発5:15〜お鉢稜11:00〜山頂着11:22〜大沢休泊所着14:47
メンバー:小林久仁彦、飯塚良子、工藤誠志

 ヘッドランプの光をたよりに登り出す。いつものことだが、起きがけの急登は、息が切れる。昨年は、雪不足でこの地域に足を運ぶことが、できなかった。2年ぶりだが、懐かしさがこみ上げてくる。しかし、毎回のことだが、崩壊が進み、見覚えのない、地形になっている所が多い。一昨年、右岸上に見つけた洞穴のビバークサイトの崩れ洞穴の半分が、失われその石が床部に転がっていた。歩くところは、沢の内側の雪面を選んで進む。インゼル入山するには、今回は、雪不足なので、冬の富士山山頂に行ったことのない、飯塚さんのため、右岸ルートから山頂をめざすことにした。

 大沢の奥壁に向かう時、大沢の沢筋に下降を始める目安になっているローソク岩まで、大沢側の雪面を登っていった。そこで、右岸の沢縁の上に登り、仏石沢上部をめざして左へ、巻きながら山頂へと進んだ。小林君が体の不調を訴えたので、まだ自力で、休泊所まで、一人で戻れる場所と考え、一人で下山してもらうことにした。残った二人は、左上しながら浅い岩稜を三つ巻き、仏石沢上部の雪面に出た。冬のこの場所は、山頂超えの風の通り道になっており、背中に強風を受けて登るため、快調に高度をかせぎ、お鉢の稜線に抜けた。お鉢の内壁には、赤い壁があり、それに白い雪、青い空と色彩が神々しく感じられる。

 強風を避け、岩陰で一休みする。それから、山頂をめざし歩き始める。測候所の玄関側でなく、剣が峰の東側にある鉄梯子を登って、日本最高峰の三角点のある山頂に着く。夏にも富士山山頂に登ったことのない飯塚さんは、冬の富士山山頂に登れて、本当に嬉しそうだ。

 強風の山頂に長居は無用と、仏石沢の下降場所へ戻る。こん度は、強風に逆らって、全体重を風にかけて、下へ降り出す。10分ぐらい沢を下り、左に巻き始めながら大沢右岸ルートに戻る。樹林帯に近づく頃から、雲につかまり霧の中に入ってしまった。右岸の沢縁の尾根上を下降しているつもりが、大沢内の支尾根にまぎれ込み、沢底が見えてきてしまった。シャクナゲやカラマツなどをかき分け、トラバースして行くと、護岸工事の跡のある斜面に出た。少し降り、右岸の展望台上部に戻った。登りに付けた雪上の踏み跡を見つけ、大沢休泊所へ駆け下った。

 待ちくたびれていた小林君に9時間30分ぶりに会う。元気な顔をして、我ら二人に、暖かい紅茶を用意してくれていた。