大沢の概要

  はじめに
 自然が富士山をつくった。その自然が今、大沢崩れとなって富士山を真っ二つにしようとしている。それをくい止めようと、国の試作も行われている。

 夏は崩壊の激しい、この富士山の剣が峰大沢、この崩壊の音が激しく「鳴る沢」とも呼ばれた沢も、冬になると一変し雪と岩のアルペンの世界になる。そんな変化ある世界を、山の先輩に案内さら入山して以来、その冬山の総合力を要求される魅力に魅せられ、たびたび入山した。雪不足で一度も入山できない年もあったり、雪が多く雪崩れの危険を感じて、入山を中止した時もあった。それでも、北風が吹くころになると、白く冠雪した富士山を眺め、夢中になって大沢源頭部に通ったころを思い出す。

 西風を背中に受けて、厳冬期の日本最高峰に登りつめる爽快感を堪能した記録を、変貌する富士山の聖域への人の足跡としてまとめた。偉大な先人の記録には、西堀栄三郎氏、今西錦司氏らの昭和7年正月の右岸ルートの極地法での登攀。厳頭部の初登では、昭和26年12月末、「偵察」「トラックの交渉」「食糧調達」などの苦労をして、日本山岳会静岡支部と清水山岳会により24日と30日という僅差の初登争いのドラマがあったことを知った。

ルート概説

 尾根、岩綾、沢筋やルンゼを登攀する人がいる。大沢名物の落石を考えると、積雪が多く、凍結が十分な厳冬期に、登ることを薦めたい。源頭部で、比較的入山者が多いのが、右俣と左俣である。岩綾で初期から登攀されていたのは、第一岩綾である。直接山頂のドームに突き上げるコースは、右岩綾である。凍結が不十分な時、冬でも落石が多いのは、左岩稜と左俣上部である。未開の課題は、雷岩正面壁が考えられる。雪不足のときは、落石の危険性が高く、沢筋に降りず、右岸ルートか左岸ルートにすべきだろう。大量の降雪後は、雪崩れの危険性もある。第三岩綾の登攀のため、途中まで登った右俣には、雪崩れの跡があった。この大沢は、無雪期には土砂崩壊は激しく、秋に朝霧高原から遠望していると、時として崩壊にともな砂埃が、2・3百メートル左岸上に舞い上がっているのを目撃したことがある。あくまでも剣が峰大沢は、厳冬期のみの登攀の世界だ。

  「一般的ルート」として、右岸ルートと左岸ルートを取り上げる。新人の雪上訓練の仕上げとしては、格好のコースである。風は強いが、吉田口と違い、風が巻くことが少なく、西風一本である。しかも、下から押し上げられる形で山頂に向かう。右岸ルートは、上部で左に巻いて、仏石沢の上部と合流してお鉢の稜線に達する。このお鉢の部分が、最も風が強く吹きぬける部分になっているので、注意を要す。左岸ルートは、お中道を富士宮口から回ってくるのは大変なため、大沢大滝から、左岸の不動沢沿いの尾根へと取り付き、お中道まで行く。そこからは、お中道を行き、不動沢を登って、森林限界を超え、左岸ルートに出る。右岸と違い、岩稜の体をなしていないため、風を常にまともに受ける。ただ、一直線に山頂測候所に突き上げる爽快感は、格別なものがある。大滝からの標高差は、2千3百メートルある。森林限界を超えた先の一面の雪面では、一瞬の気の緩みも許されない。

 「右俣」の左右の稜線は高く、傾斜もきつい。雪が多いと雪崩の危険性がある。そこを過ぎると、インゼルの上部の雪面に出る。最後の横断状の岩壁帯を越すと、お鉢稜線に出る。

 「左俣」は、明るい上部の見通しの利く沢である。途中、インゼル内から、顕著なノコギリ岩が、ギザギザとした板状で沢筋まで降りて来ている。それは、左俣の沢を滝状に遮断している。それを越して、右上にそびえる雷岩の基部を巻いて、インゼル上部の雪面へ抜けるのが、一般的である。理由は、左俣上部から、通年の雪の量と寒さでは、落石が冬でも結構あるためだ。

 「第一岩稜」は、末端に二つのピナクルをもつ顕著な岩稜である。中央部にインゼル内を二分する奥壁があり、その上部には、左俣まで切れ落ちているノコギリ岩(極端なナイフリッチでノコギリの歯の形をした板状の岩)が横断し、その上の終了点には、見上げるような雷岩が待ち構えている、変化に富んだルートである。早くから注目され、1951年に清水山岳会の渡辺茂氏らによって初登されている。大沢の崩壊は毎年進んでいるが、このルートの岩壁部はしっかりしており、登攀として一番安定し、充実したルートである。

 「第二岩稜」も、末端は岩峰状となっており、それに岩稜が続いている。もろく短かく傾斜もないが、途中に小岩峰があり、それを右側面から巻くのがルートの核心部となっている。その先は、インゼル中央の壁に突き当たって稜状は消える。右手の雪面を詰めて第一岩稜と合流する。

 「第三岩稜」は、短いが、厳しい部分のあるルートである。末端は、崩壊しているので簡単に稜上に出れる。稜上に出ると、右側は切れ落ちている。左側は、傾斜もなくルンゼ内の雪面に下れる。稜上は小垂壁の連続となっている。それぞれの弱点を見つけて、登り進む。最後には、垂壁がきつく、第二岩稜側の側壁に回り込み、もろい壁を20メートル越えて、雷岩に続く上部の緩斜面に出る。

 「第四岩稜」は、末端が簡単な岩稜であるが、途中にハングした岩壁に突き当たる。その上は、大まかな岩稜となって右俣上部の緩斜面に消える。

 「雷岩」インゼルの左上部にでんと構えてそびえている岩壁である。中央のカンテを登れば、2ピッチはある垂壁の登攀となる。岩質は硬く、アイゼン登攀でなくフラットソールの世界。正面壁は未踏である。側壁の凹状の一箇所が登攀されている。

 「左岩稜」は、末端が沢筋に横に広がる屏風のような壁となっている。右岸から降りてくる大きな岩稜で、途中に小岸壁を持ち、右岸のノゾキに出て終わる。

 「右岩稜」は、広々とした中央部に丸形の岩の段を幾つか持つ大ざっぱ尾根である。左岸上部の赤い鎌形側壁に突き当たって終了する。問題は、中央の岩の段の登攀と終了してからの抜け方である。途中の岩段は巻ける。終了後は、左俣の雪面から綾線に抜けるか、左岸の側壁を登攀して、左岸ルート上に出て、直接山頂の測候所に向かうコースがいい。

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