富士宮山岳会のページです。
2 富士山お中道周遊
 
  平成17年10月16日   曇り

コースタイム

富士宮口6:08〜宝永分岐6:20〜宝永第一火口6:31-6:36〜宝永馬の背7:06〜御殿場登山道7:18〜須走下山道8:03〜須走登山道8:07-8:20〜須走本六合小屋跡8:30〜吉田下山道8:54〜吉田口六合目9:10〜泉ヶ滝9:23〜河口湖口五合目9:30-9:53〜御庭山荘10:30-10:43〜大沢休泊所11:23ー11:30〜大沢底11:57〜不動沢12:23〜お中道不動沢12:44-12:58〜主杖流し13:48〜富士宮五合目14:58

 富士山の地元の山岳関係者として、地域の登山道の現状を把握するのも、その役目のひとつであると思っている。今回、富士山のお中道を6年ぶりに関係機関に話し、周回させてもらった。その行動を、記録としてまとめてみた。

 富士宮口五合目駐車場に着いてみると、霧の中である。お中道は、ひと冬で砂石が上部から流れてきて、踏み跡の道が不鮮明になっている所が多い。しかも、霧が出ると、歩く方向が定められない。これらのことを考え、今回のお中道周回は、「逆時計回り」で周回することにして、宝永火口に向かった。樹林の中の道を抜け、宝永火口縁に出る。そこから宝永第一火口の底に降りて行き、底にあるベンチで休憩とした。

ひと休み後、宝永火口の側壁を小石の登山道を登る始めた。この頃から霧が、時々晴れるようになる。宝永火口全体が、見渡せるようになる時もある。何回眺めても、宝永火口のスケールの大きさには、圧倒される。順調に宝永山の馬の背に着く。しかし、風が強く、20度ぐらい右に傾けて歩かないと、飛ばされそうである。馬の背を山頂に向かって、7、8分歩くとお中道の道に入る。お中道に入ると、風は収まった。すぐに、幅広のブル道に合流して、廃屋跡に着く。そこから、横断して伸びる踏み跡に進む。やがて鉄柵のある登山道と御殿場口登山道を横切る。このあたりには、新しい黄色い目印が付いている。誰かが、お中道を通行しているようだ。

 御殿場口登山道を過ぎると、いよいよ、砂石地帯に入る。かすかな踏み跡を歩いて行くと、砂石が流失して谷間になった所に出る。最初のものは、それほど深くなく難なく越すが、次のものは、深く側壁が急で登るとても登り返せそうにない。少し下って、側面が急でないところを、右岸を下り、左岸に登り移る。しかし、対岸に渡って上部にもどって、お中道を探しながら横断していく。かすかな踏み跡らしきラインを進むと、上部にそれと分かる赤い大岩が目につく。砂防関係者が命名した、「赤岩」である。霧が晴れた時、須走口駐車場が見えた。そんな中、ナメの沢が下から上り来て、上部へと伸びている「不浄流し」を横断した。見覚えある場所である。正しいお中道を歩いているようで安心した。少し気をつけて進んでいると、目印の黄色いマークが出てきた。地盤の固いところから、砂石地帯に入り、砂石の流失した谷間をひとつ越すと、須走口のブル道に出た。

 ブル道のわきにある石の「お中道」の道標に従って、踏み跡を進む。すぐに、踏み跡が不鮮明になる。霧も出てきて、方向性も定められない。経験的に下り気味に進めばいいと、横断を続ける。広々した感じの地形の中に、小さな「下山道」の立つ須走下山道に出た。下の方に下山して行く、登山者が確認できた。地形的に上り加減で横断を続けていくと、登山道を示すロープが見えた。下の方に、六合の小屋が見る。須走登山道に出たようだ。ただ、お中道より下を横断してきたようだ。まず、登山道に出て休憩とした。

 休憩後、須走登山道を少し登りなおして、本六合にもどる。本六合の廃屋は、木柱は撤去されていた。そこから、また横断を開始する。ここからは、黄色と青色の目印が付いている。その印をめやすに進むと、樹林の中の道となる。樹林から砂石の世界に変わる辺りに、上流から下流に長く伸びる一条の溶岩のナメを横断した。須走の不浄流しと同じく、このナメ沢を一度、遡上してみたいと思えるほど立派な沢である。この沢の先に、大きく抉れた砂石流失の谷間が出てきた。ここは、大きく下って対岸に渡る。よく見ると。ピンクの目印が出てきた。それを探して、かすかな踏み跡を確認しながら横断していく。すると、前方のスカイラインに、吉田口下山道が確認できる。その下には、お中道が、吉田口下山道と合流する地点にある大岩も見える。もはや、踏み跡は失せている。最短で、下山の登山道に出ようにしたが、下山道直前にも砂石の流失した谷間があった。そこを、上手へ登って巻き、吉田口下山道に出た。

  一休みした後、吉田口へと登山道を下っていく。途中何カ所ある、落石避難のシェルタートンネルを進み、霧の中の吉田口六合目に着く。小屋跡の階段を下り、石畳みの坂道を降りて行くと泉ヶ滝に出た。そこからは、広い平坦な道を観光客とすれ違いながら歩き、食堂などの建物が立ち並ぶ河口湖口五合目に到着する。少し早いが、食堂で昼食のそばを食べる。

 お中道の周回の記帳を、昭和初めまで記録していた小御岳神社にお参りして、お中道へと歩き進む。樹林の中の広い平坦な道をカラ松、シャクナゲ、ミヤマハンノキなどの樹木の中を歩く、「散策」気分で歩く。時々、樹木が途切れ、富士山の展望ができる場所を通過する。ほどなく、御庭山荘に着く。小休憩して、大沢へと向かう。低い樹木の中に続く細い登山道を進むと、砂地の広い沢筋に出た。沢の真ん中に、「滑沢」と刻まれた石のある沢である。古い登山用地図では、仏石沢されていた沢であるのだが。次に出てきた顕著な沢を渡り、深く刻まれた前沢を渡り大沢休泊所に11時半前に着いた。

  想い出に浸ることもなく、大沢右岸の鉄砲尾根を下降していく。現在、この部分の登山道は、関係者以外立ち入り禁止となっている。対岸を見ると、6年前より大沢の護岸工事が拡大していくのがよくわかる。許されている場所から大沢の底に降り、対岸に登り返す。大沢左岸の登山道は、工事中の区間の道は、整備されている。しかし、それを過ぎると踏み跡程度の道となる。左岸を直上して登って行くと、道は右上へと巻き出す。傾斜を増した斜面を進むと、踏み跡が複数になる。直上する踏み跡より、右上する踏み跡であろうと進む。その内、踏み跡が上下左右となる。どうも獣道に迷いこんだようだ。右に巻いて行けば、不動沢に出るので、そこで修正することにして、右上するしっかりした踏み跡を選んで進むと、顕著な不動沢に出た。少し沢を遡上すると、沢筋が二股になった。お中道が横断しているところに近い。念のため左の沢を登り出すと、すぐにお中道を示す、赤布が木の枝に吊してある踏み跡が出てきた。ここまでは、大沢左岸を上部へと登り、5メートルの岩壁に沿って右上する踏み跡を進むべきだった。

 不動沢二股の右の沢筋で休憩後、先へと歩き出す。すぐに「天の浮橋」の岩場に着く。古い木の橋がしっかりしいる。しかも、針金の手がかりが固定してあるので、それを難なく渡って岩の上の踏み跡に出た。岩場上の砂地のトラバース道は、これまでここを通過した時より安定した踏み跡になっていた。最近のお中道で、一番の危険箇所であったこの「天の浮橋」も、今日の状態であれば、一般登山道とはいえないが、低山の藪山から、日本アルプスの稜線を問題なく登山できる経験者には、問題なく通過できる状態である。15メートルのトラバスを終えると、紅葉の美しい林の中の登山の道となる。この周辺のお中道の道は、かなり明瞭なため迷うことなく歩ける。最初に沢とわかる沢の竹桜を横断する。樹林の中の道を進むと、樹林を抜け広々とした赤い砂地を横断する。また、樹林の中の道を行くと、岩盤の沢筋に出る。その岩盤は、富士山山頂へと伸びている。下流にも岩盤の沢筋がすそ野の樹林帯までつながっている。深沢の左俣の鬼ヶ沢である。また、樹林に入り抜け出たところで沢に出合う。これは、深沢の左俣の主丈流しである。この沢も山頂へ溶岩が流れた跡の長い岩盤を伸ばしている。ここで休憩して、いつか登るに行く時に備えて、沢筋の様子をよく見届ける。

 低い木々がまばらとなった登山道を下りかげんに進む。間もなく、きれいに磨かれた岩盤の箱荒沢を横切る。もう、残り少なくなったコースを歩いて行く。岩の稜線を越えると、表面が砂地の世界が出現する。次の稜線を越え、広々とした赤い砂地を横切る。そして岩地の道を水平に続く踏み跡を行く。やがて、赤い砂地の広い沢に着く。下を見ると沢筋が、狭くなっている。この沢は、富士宮五合目直前にある、富士山の南西面中腹の沢を楽しんだ場合、下降に使う赤沢である。ここまで来れば、あとは、六合目から横断して来ているお中道と、富士宮五合目に向かう下山道との合流点まで行けば、五合目駐車場は目の前である。そこを通過して、下山する道を進み、本日歩き出した地点の車に、8時間50分ぶりにもどった。

 以上のとおり、お中道の現状で問題となる場所は、砂地で流失している東斜面、大沢の渡場と大沢から不動沢間の踏み跡が不鮮明な箇所である。これらの箇所は、一般登山道とするには、困難さや工事関係者に迷惑をかけることになる箇所である。その他の登山道は、踏み跡がしっかりまだ残っていた。一部には、今も連続的に通過する人々がいる痕跡と思われる新しいマーカーが、残されていた。    パーティー(曲渕・工藤)

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